二十三「破壊の償い」

私の考えです。
今日は、六十項目の
二十三「破壊の償い」です。
償うってどういうことでしょうね。何かを自分がして、その埋め合わせを
することでしょうか。いいえ違いますよ。償うとは自分を活かす道を
改めて見つけ出すということです。
どういうことかというと人は日々、罪を作って生きています。生きることは
罪を作ることです。たとえ野の草1つをむしりとっても罪です。生物の
活動を止めたり痛めたりすることは罪なのです。
しかし、うける罰は違います。それは生物に与えられている魂の強さに
関係しています。魚のさんま5万匹と牛肉の1きれが同じ魂の強さくらい
でしょう。5万匹と1きれが同じ罰の大きさということです。
人は自分の犯した罪を人生の中で償っていきます。償うとは人の生き方の
方向性を見直す機会を与えられるということです。
機会を与えられるのは人であり、生きているもの全てなのです。
食物連鎖という言葉がありますが、この連鎖を支配しているのが人なの
です。創造主が人を神としたときから食物連鎖の頂点が人であることは
決まっていたのです。頂点である人は、自然を破壊し汚し世界の様相を
変えていきました。人に与えた可能性を創造主が見るためでもありま
した。神となった人がこの世界をどう変えていくかを見極めたかっ
たのかもしれません。
破壊の償い、あなたがたがどう償っていくか、創造主はしかと見て
いきます。

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