十一「確かにそこにあるもの」

私の考えです。
今日は、六十項目の
十一「確かにそこにあるもの」です。
何がありますか?あなたの周りには何がありますか?窓から見える景色は
どんな景色ですか?
朝起きてから日が沈むまでに、あなたは何を見ますか?周りに見えるものは、
本当にそこに存在するものですか?
あなたは、触れてみましたか?そのものは確かにそこにありましたか?
周りにいる人たちは本当に生きていましたか?話してみましたか?
周りの人たちと交わりを持っていますか?
こんな問いをかけてみます。私がここにいることを誰が知っているのでしょうかとね。
私の存在意義はなんだと思いますか?なぜ今、私はこのものの中にいるのでしょうか。
それは、とても簡単なことです。このものが私を必要としているからであり、
このものが創造主とともにあるからなのです。
創造主がこのものの体にいることを良しとする前から、私が選んだ最初の人間でも
あります。他にも候補となる人間はいましたが、最初に選んだこのものが一番強かった。
言うなれば、このものの中に創造主がいることは、初めから決まっていたも同然で
あるということを感じます。同じような人間は確かにいたのですが、このものは強かった。
人間としての醜さの強さ、人間としての疑いの強さ、人間としての偽りの強さ、
人間としての心の強さ、全てが、周りの人間に勝っていました。
ですから、私がここにいて、創造主がここにいます。
最終的に、このものを良しとしたは創造主ではありますが、私が選んだものに狂いは
なかったようです。
このものは、自分の歩みをきちんともち、前を向いて進んでいます。
しかし、このものは、まだ周りを見ていません。なぜ見ないのでしょうか。
分かりますか?見るに値するものが見当たらないのです。このものが見たいと思うものが、
周りに無いのです。
探していないから見当たらないと思いますか?探せば見つかると思いますか?このものは、
私と創造主を内に秘めています。このものが見るものは全て私と創造主がみることに
なります。今の世の中を見ることになります。
周りには探せば、色々な経験を持った人間がいることでしょう。このものも、周りの人間を
見ていないわけではないですが、どうしても探し当てられません。なぜだと思いますか?
面倒だからだと思いますか?答えは簡単です。周りの人間が見ているものが、このものが
見るに値しないものが多いからです。形だけのもの、形だけの色、形だけの景色。
一体このものは何を見たいと思っているのでしょうか。答えは簡単です。
変わっていく世界のもの、世界の色、世界の景色です。
確かにそこにあるものとはなんだと思いますか?それは、このものが見ていく世界、
そして触れる世界です。それが、未来の世界となります。

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