五「もたれる生き方を止めるとき」

私の考えです。
今日は、六十項目の
五「もたれる生き方を止めるとき」です。
人は一人では生きていけない。なぜだと思いますか?
自分だけで自給自足すれば生きていけるのではないですか?と思う人もいるかと
思います。
自給自足って、どうやってすると思いますか?その知識、知恵はどこから得ると
思いますか?全部自分一人で出来ると思いますか?ここまで言えば分かりますね。
自給自足をする知恵は、誰かが教えてくれた、または、誰かが記したものを見て
得たものなのです。
全てを一から自分の知恵だけでやろうとすると、とても困難であり、
生きることは難しいでしょう。そこには、人が生きてきて得た知恵というのが
必ずあります。
人が寄り添い生きていくのは、人一人がとても弱い存在だからではないのです。
人とは、多くの知恵を共有することができ、活かすことが出来るからなのです。
幼いころに外で遊んだ記憶がある人は、その外という空間で見たもの、聞いたもの、
感じたもの、考えたものを自分の経験として蓄積します。外で遊ぶとき、
一人でしたか?もし一人で遊んでいたのなら、それは、そのときの自分が興味を
持つもの、何かから得た知識、知恵があったからではないでしょうか。
何もない中で何も考えずに一人で遊ぶことって、とても難しいことなのです。
たとえば、おもちゃがあり、それを使って一人で遊ぶ、それって一人で遊んで
いるのではないのですよね。おもちゃという相手がいるわけなのです。
言いかえれば、誰かの知恵の中で遊んでいるのです。一人で公園のブランコに
乗り、1時間何も考えずに過ごしていても、それは、ブランコを考えた人と共に、
過ごしていることなのです。もっといえば、砂場で山の形を作って一人で
遊んでいるのは、砂場を作った人と共に遊んでいるのと同じことなのです。
何もない中で何も考えずに遊ぶって、真っ白な世界でわけも分からず、
体を動かしているのと同じことなのです。文字道理、生きているとはいえないです。
それを生きていると言えるのであれば、頭の中に何かの知恵があり、
思いふけることができる。または、考えることを全くしない。もしくは、
その生き方しか許されない場合でしょう。
この世界で一人で生きていくってことは、まずないことなのです。
幼いころから孤独で、一人で生きてきた。という人もいるかと思います。でも、
それって、本当に一人だと思いますか?一人だけで本当に生きていくことって
可能だと思いますか?
孤独感というものは、人それぞれに違うことはあります。しかし、生きるという
ことは、決して一人でいきていくことではないのです。そこには、誰かの知識と
知恵が存在します。全てを自分一人だけで考え、生きていくことができるのは、
人間ではないです。もちろん神でもないです。そのような存在は、この世界には
存在できないものです。
では、自分の人生を自分の力で切り開こうとする人はどうだと思いますか?
自分の力とは、誰かの知識、知恵を活かした力のことです。自分の力で人生を
切り開くとは、他者の力を元に、生きていくすべを見つけるということなのです。
本題の、もたれる生き方を止めるときとは、なんだと思いますか?
それは、生き方の根源、つまり生き方の大本の知恵は他者のものであっても、
歩んでいく、進んでいく、切り開いていく、その力を他者に依存してはならない
のではということです。
他者に依存するとは、他者の考えを自分のそのままの考えにし、他者の作りだした
ものを自分のものと思い、他者が与えてくれるものをそのまま受け入れることです。
人は考えることで多くのことを学べる生き物です。
自分なりの生き方を見つけるときなのかもしれないですね。

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