二「明日への希望を持つ」

私の考えです。
今日は、六十項目の
二「明日への希望を持つ」です。
今日があり、今と言う時間が存在していることになんの疑問も感じずに
生きている人が多いのではないでしょうか。
今が当たり前にあり、この社会が当たり前のように存在していると
思っている人が多いのではないでしょうか。
確かに、当たり前に存在しているといえばそうです。
しかし、良く周りを見てください。周りの景色、周りの人間、周りの様々なものは、
そこにあるのが本当に当たり前なのでしょうか。
気付いている人もいるかもしれませんが、この世界は、全てが嘘で出来ています。
絶対な完全無比の真実とは実はないのです。
人は生きていく上で、何かを見て、聞いて、考えて、感じて生きていくことを
当たり前のように思っている健常者の方たちは多いかと思います。
確かに体に何も異常がない人は、当たり前に出来ることです。
しかし、人一人に与えられている時間とは、限りなく少ないです。
病気をきっかけにその時間の尊さを身にしみる人間もいるでしょう。
体に異常をきたし、今まで出来ていたことが当たり前に出来なくなり、
気付く人間もいるでしょう。
では、当たり前に出来ている今という時間を有効に使わないでいることで起こる
時間の空白はどこで取り戻せると思いますか。
答えは、とても簡単です。気付いた時から取り戻せるのです。
気付いたときが早ければ早いほど、多くの時間を有効に使うことができるでしょう。
気付くとは、自分の存在にです。自分はなぜこの世に生まれ、なぜここにいて、
なぜこうしているのかということです。
自分の存在の意味を考えずに、月日だけが過ぎていくということも多々あることです。
周りの世界にあわせて、何を急ぎ、何に焦り、何に動かされているか、分からずに、
ただ時間だけが過ぎていく。そうした生き方をしいられるのは、この世界にいる
大半の人間なのです。
ごく一部の人間が、この世界を動かしている感覚に陥っていますが、その人間も、
全てを知っていてそうしているわけではなく、その位置に自分がいるから
そうしているのです
実際は、本当のことなど誰も分かっていないのです。
この世に絶対無比の真実があるとするなら、明日という日は何が起ころうと
来るということです。
仮に太陽が消滅して、地球が消えて無くなっても、この世界に時間と言う概念が
ある以上明日は必ずやってきます。
地球が消滅したら、何もすることがないのでは。と思う方がいるかもしれませんが、
することは、山のようにあります。地球が消滅したら、魂の受け皿がなくなるわけ
ですから、新たな地球を目指して、長い旅をしなければいけないですね。
ふざけていっているわけではなく創造主がこの地球に人間を誕生させました。
この宇宙に存在する生命体はこの地球だけです。
ですから、実は太陽が消滅することも、地球が消滅することもないのです。
創造主が、この世界の全てに失望し、全てに絶望しなければです。
その可能性は限りなく零に近いです。ですから、明日は必ず来ます。
それは自分の存在、今まとっている肉体が滅びても、必ず来ます。
たとえ、自分の意識が消えてしまっても、必ず来ます。
人は一人で生きていくものではないです。自分の想い、自分の生きた足跡は、
どこかに何かを残しているのです。
生きるということを考えるとき、人はどこかで繋がっているということを
感じることが、とても大切なことです。その気付きがいつなのかは、
人によって様々です。
明日への希望を持つとは、自分一人だけのことではなく、人間全体、そして、
この世界の未来のことをいっているのです。
時間の持つ意味、自分の存在を考えるときなのかもしれないですね。

「二「明日への希望を持つ」」への2件のフィードバック

  1. SECRET: 0
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    ぼくも似たようなことを考えています。
    いろんな出来事が起こり、体験し、学び、考え、また新たなバリエーションを創造しながら生きていくことができれば、ぼくはそれで十分すぎるほど充実しています。

  2. SECRET: 0
    PASS: 0d45e35ff45813080a982ec4696de128
    キュービットさん
    コメントありがとうございます
    > ぼくも似たようなことを考えています。
    わたしが答えますね。
    キュービットさんの考えは面白いです。わたしが読んでいても面白いと思います。
    何が面白いかといいますと、導き出したものが、キュービットさんの独自のものだけではなく、
    いろいろな本や資料と結びついていることです。しかし、わたしは、それらの本や資料を読むことは
    しないです。なぜなら、もう一人の自分と言っていることとかぶることがあるからです。
    その本などを見てしまったら、もう一人の自分がいっていることが新鮮に聞こえないことがあるかも
    しれないからです。
    わたしって、実は、精神世界のこと、分かっていないのですよね。でも、書けるのです。
    キュービットさんの考えと似たようなことを、もう一人の自分が言っているとするのであれば、
    おそらく、もう一人の自分は、わたしの知識や感覚とは離れたところにいるのだと思います。
    これから、もう一人の自分が言っていくことは、わたしの領域をはるかに超えたものになるのは
    たしかなことだと思います。
    そして、キュービットさんの考えも、もう一人の自分は面白いものだと思っていると思いますよ。
    > いろんな出来事が起こり、体験し、学び、考え、また新たなバリエーションを創造しながら生きていくことができれば、ぼくはそれで十分すぎるほど充実しています。
    もう一人の自分が答えます。
    私は、この者を選んだときから、この先の未来を見据えていました。この者にいかに経験をさせ、
    学ばせ、考えさせるかを、思い描いてきました。その描いたものは、形となっていきます。
    それは、私があやふやな存在ではないからです。居るのか居ないのか分からない存在では
    ないからです。この者は、確かに私を感じ、私と共に居ることを現実として受け止めています。
    その確かな繋がりが、これから何を生んでいくかは、キュービットさんの目で見て頂ければ
    いいかと思います。
    そして、キュービットさんの考えのお役にたてるのであれば、それも繋がりなのかもしれません。
    わたしは、心理学っていうのも全然知らないです。でも、心の動きとか、見えるのかなぁって
    思います。
    わたしの考えと、もう一人の自分の考えはどう見えているかも、ちょっと知りたいところでも
    あります。
    また感じたことなどがありましたら、コメント頂ければうれしいです。
    よろしくお願いいたしますね。

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